「団塊の世代」と「全共闘」㉘ ――鶴見俊輔と吉本隆明、「転向論」の彼我


 で、そういう状況に少数派が出てきたわけだ。私は客観的には評価している鶴見俊輔(哲学者/一九二二│)なんかがそうだな。彼ら「思想の科学」系という、毛色の違う、異様な出自のグループがいたわけだ。彼ら鶴見たちは、たとえばジョン・デューイなど、アメリカのプラグマティズム思想を学び、それを市民的な運動の手段に応用したわけで、さっき言ったような当時のマルクス主義とその呪縛の構造からは一応、一線を画していたと言っていい。


 鶴見以外にも、関連の何人かが「思想の科学研究会」というグループをつくって、初めは研究会をしながら、後には市民運動に動き出し、人気を博したわけだ。そして、その中で『転向研究』(筑摩書房)という有名な本を出す。そして後に一部、転向論の結論部分だけを、平凡社で『共同研究 転向』(平凡社、一九五九│六二)という本にまとめあげた。これを読むと、転向というやつも、どうも共産党が言うような単純な経緯ではないらしい、ということがわかってくる。転向する人にはそれなりの事情があり、中には偽装転向という形で頑張った人もいたとか、やはりここがこんなに悪いとか、共産党の中も一枚岩ではないなど、まあ、当時としてはかなりよく研究されているよ。

――鶴見俊輔思想の科学研究会については、あたしでさえこれでもかなり評価してます。ただ、この時期の情報環境までは、という厳しい限定条件つきですけどね。


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 彼らの立ち位置が70年代に入るあたりからどんどん妙な方向になっていった、それは彼ら自身の問題と共に、思想なり言論なりが置かれている文脈、情報環境が「豊かさ」の中で大きく代わっていった、そのことを織り込んでゆけなかったことも大きいでしょうね。小熊英二あたりはやたら鶴見とその周辺を持ち上げてますが、あれ、政治的/意図的じゃないとしたらただの卑怯者ですね。でなきゃ、文盲としか思えない。鶴見信者の最終的な退廃形態なわけで、まただからこそ、ある種の連中に小熊はやたら評価されたりした、それもまたさっきの構造のなせる現象だと思います。理屈はどうあれ、そこにぬくぬく安住したままというのは知的怠惰でなければ、ただの俗物、バカですよ。


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 吉本と似たような意味で、鶴見とそういう信者の関係というのは根深いわけで、しかもそれが『話の特集』周辺から発散されていたようなぬるい市民感覚、いまだとまさにプロ市民的なノリの元祖みたいなところがありますよね。マスコミ業界界隈にそういうノリは70年代、急速に浸透していって、そうやってメシ食っていった手合いの中には吉岡忍とか、先ほど話に出た山口文憲とか、その他有名無名のライターや新聞記者、編集者なんかにはゴマンとそういう鶴見系ビリーバーがわいていた。先に出てきた吉本信者とそれは重なっていながら、でも吉本信者よりもさらに「新しい」部分があったとしたら、いわゆるサブカルチュアに対する嗅覚というか感覚というのを良くも悪くも持ち合わせていて、それを武器だと自分たちも信じてしまっていたところがあるんだと思います。マンガや映画、ジャズ、歌謡曲(これももう歴史的過去のもの言いになりつつありますが)といった領域に節操なく発言して、思想的にディストーションのかかった「読み」を発動してゆく、というスタイルの「評論」の悪弊は、そういうベ平連サブカルサヨクに骨がらみになっていて、これは呉智英さんなんかのやってきたことととは微妙に仇敵関係が違っているはずです。

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 ちょうどそのほぼ同時期、一九六○年だけど、吉本も新たな形で転向論を出してたんだよ。そこで吉本はこう言った。つまり革命家、前衛たる同志がやるべきは、労働者とスクラムを組んで、権力に対して闘うことである、と。ところが共産党員は刑務所に入ってしまったことによって、本来やるべきスクラムを自ら断ち切ったのだ、それは民衆を裏切ることだから、実は「獄中十八年」の彼らこそが転向者なのだ、という言い方をした。

――ムチャクチャですね(笑) でもまあ、ケンカ技としては捨て身でオモシロい。

 まあ、控えめに言っても、これは言語のアクロバットだよ。

 そのとき鶴見俊輔は、いくら何でも刑務所に入った人を転向というのは、これは論理のあまりの飛躍である、それはないでしょう、と批判した。そうではなくて、そのとき刑務所に入ってしまえばすむという安易な姿勢を批判するのなら、それは駄目な思想であると言えばいいのだ、と。駄目な思想だということと転向とは別のことだよ、と、鶴見は吉本を批判したわけだ。

 私は鶴見の批判は正しいと思う。思うが、そのときの吉本の言葉のマジックというのは、それはそれで本当にすさまじい威力があったんだよ。刑務所で拷問を受けているやつに、おまえらこそ転向じゃないか、という論理はそりゃ大月君じゃなくてもメチャクチャだと思うけど、でも、実際になかなか言える言葉ではないよね。でも、吉本はそれを言ってのけたわけだし、現にそれを聞いた学生たちは拍手喝采したわけだ。なぜなら、六○年当時、学生にとってすでに共産党は目の上のたんこぶだった。いつも上から命令して、何かというと「若造が何を言う。おれたちは十八年、刑務所で頑張ってきた。反戦運動をやってきたじゃないか。言うことを聞け!」と一喝された、まあ、そういうわかりやすい恨みつらみが蓄積していたんだけど、それを鶴見たちのように、論理的に五・一五事件のときは何人検挙されたとか冷静に説明しても、そんな学生たちにはわかりゃしないよ。それより「いや、違う! あいつらこそ転向者だ」と叫べば、「なんだ、そうか!」と膝を打つわけだし、何よりスッキリして気持ちいいわけだ。これは強いよ、やっぱり。

――平岡正明もそれに近いことを、早い時期に言っていましたね。彼は、谷川雁についても同じようなこと言ってたかな。要は、ケンカ芸としての論争、という部分を平岡正明は当時としては敏感に反応できたんでしょう。メディアとジャーナリズムのありようが変わってきたことで、それまで狭いインテリの内輪の、その意味じゃ道場の寸止め剣法だったのがいきなり何でもあり、になり始めたようなものですかね。でもそれもまた、ほんとの何でもあり、というより、「何でもあり」という芸、だったわけなんですが。


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 それから七年後、六七年の全学連とか羽田闘争の話になってくると、そんな吉本節が、六、七年たって、ようやくじわじわ浸透してくるわけだ。別に政治的な学生でない一般学生でも吉本隆明を読むようになってきていた。たとえば、一九六○年に吉本が転向論を書いている頃は、前にちょっと出た川本三郎松本健一の話にあったように、そんなもの普通の人は読まないし、大学生だってほとんど知らなかった。知ってたのは都会出身の、早くから政治的にかぶれてた一部の学生だった。やっぱりものごとが浸透するには時間が必要なんだよ。そんな風に普通の学生も読むようになってきて、吉本隆明って名前がある種のブランドとして流通するようになってきたところで、まさにその吉本が今度は、共産党よりもアンパン屋のおじさんの方が素晴らしい、ということを教えてくれたわけだ。この中にこそ大衆の原像はある。いま、この政治的状況で、大衆の心をつかんでいるのは実はこのアンパン屋であって、共産党ではない! というわけだよ。

――有名な「アンパンおやじ」伝説、ですね。六〇年安保の国会前のあの時、アンパンを売り歩いていたオヤジがいた、という話。で、大衆ってのはまさにこういうものだ、という全面肯定をやって、政治に奔走している連中をひとまとめに相対化した。

 で、今になって改めて思うんだけど、あのとき、たかだかそんなことで目から鱗が落ちた学生というのは、どう考えても知的に情けないんだよ。私はそんなものはバカにしていたから、何とバカなことを言っているんだろう、と思ったけど、でも、当時の学生一般の吉本信仰というのはそれほど凝り固まっていたんだよね。

――空気と燃料の混合率がほどよくいい具合になったところにその発言がスパークして一気に、って感じでしょうね。でも、そういうタイミングでそういう発言をすることの効果、ってのも、吉本はある程度直感的にわかってたのかも。

 『共同幻想論』でもそうだよ。あれ、言ってることはものすごく簡単なことでさ。国家って何なんだろう、と、実はこれだけ(笑)。

 で、もちろんこんなことは昔から多くの人が考えているわけだ。ヘーゲルは逆に、国家のリアリズムは大事だ、ということを言いだして、それからフォイエルバッハがこれを批判するという構造になっている。そんなものははいつの時代にもあるわけだけど、国家っていったい何なんだろう、ということを独特の言い方で敢えて言った、それがウケたんだ。国家になる共同体、そんな共同体があるのだったら、ならばそんな共同体と国家は果たしてどっちが偉いんだろう、とか、そういう手順で考えてゆくんだからさ。

 それが集約的に出てくるのが、結局、エンゲルスの『家族、私有財産および国家の起源』だよね。あれがマルクス主義における「国家と社会」の見取り図の典型になるわけだ。ほかのところも、まあ、批判はあるにしろ、そもそもあれ自体モルガン/エンゲルス学説だから、モルガン説が否定されてしまうと成立しなくなるんだけど、でも、骨格はわかる、と。仮にモルガンが間違っていたとしても、国家、家族、私有財産というのは、誰かがやはり創り出した擬制=フィクションである、だから、これは何かの拍子に崩れることはある、と。その崩れ方がどういう形になるかはわからないが、おれたちはそういう擬制に対して距離をもって見なきゃいけない、どっぷり浸かることはないんだ、そしてそういう見取り図、いつか国家という擬制は崩壊し得る、ということの骨格は変わらないんだ、というのがずっとあるわけだ。

「団塊の世代」と「全共闘」㉗ ――吉本隆明ブランドのご威光

第四章 同時代の知の巨人たち、もしくは知のはぐれものたち

● 吉本隆明

 吉本の影響力は、やっぱり絶大だったね。でも、その理由というのは、ものすごく単純なことで、要するに若者はヒーローを求めていた、そういうことだよ。

――それはまたわかりやすすぎるというか、身も蓋もない話ですね(笑)

 身も蓋もない話だけど、でも、やっぱりそうとしか思えない。要するに何でもいい、長嶋でも力道山でもいいから、国民的ヒーローが欲しかったんだよ。まあ、これは私も三、四十歳になってわかったことなんだけどね。そういう意味で、吉本もその当時、若者のヒーローだったんだよ。

 ちょうど今、私は産経で吉本の批判を書いているけど、信じられないことに、いまだに吉本の本は売れている。そりゃあ、昔に比べれば部数は落ちたけど、今は体が悪くてあまり書けないからかえって飢餓状態みたいなところがあるのか、ちょっとしたメモを引き延ばしたり、あるいは口頭でしゃべったものを出すだけで、やっぱり一万部くらいは売れるという。

――うわあ、いまどき一万部出る書き手って、それだけでもう希少価値ですよ。

 そうだよ。今のこの出版不況下で、めちゃくちゃな話だ。いまどき、なかなか一万部なんて本は売れない。でも、それが売れているんだよ。しかもそれを、これは私も友人も多いから具体名は出さないけど、団塊の世代の連中が喜んで褒める、ヨイショする。

――なんでしょうねえ、未だにそれですか。まあ、言葉つきからほめ方まで手にとるようにわかるような気もするんですが。でもそれって敢えて商売としてほめてるんですかね、それとも本気?

 本気だろう。もし商売として提灯つけているというのなら、むしろ褒めてやるよ。でも、彼らは本気で書評で提灯をつけている。今でも吉本の書くもの、しゃべることがいいと信じているんだ。つまり、そういうまさに信者のような吉本ファンの団塊の世代が、いまも吉本ブランドを支えているってことだよ。

――まあ、そういうブランドって意味では、立花隆もある種そういうところがありますけど、やっぱり吉本隆明の方がそういう時代性や世代性とからんだ根深さが、ちょっとケタ違いかも知れませんね。当人がそれをどう自覚してるのかどうか、そのへんわからないんで興味ありますが。


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 あれは一九八七年だったかな、「吉本隆明25時」というイベントがあったんだよ。弓立社という出版社がそのイベントを本にしているけど、その時、たまたま私も呼ばれて「吉本隆明はなぜ強いのか」というテーマで喋った。そのとき私は、本当は吉本批判をしようと思っていたんだ。でも、吉本は朝からイベントに出て、次の朝まで出っぱなしでやるのに対して、私は自分の番が、確か夜の十一時だったんだよね。相手が半日以上やって疲れているところへ、私は当時まだ四十歳くらいだったけど、自分より二十歳も年上の疲れたじいさんを正面から批判するというのはいかがなものか、と思ってさ。正直、私は吉本に心酔したことは一度もないから、まあ、客観評価を言って、批判の中身についてはにおわせる感じで終わったんだ。しかも、私のパートの持ち時間自体も、あとが押してます、と主催者側に言われて、そうしたんだけどさ。

――なんだか、極真空手の百人組み手みたいですね(苦笑)。マス・オーヤマ伝説と似てるなあ。

 いや、そんな感じだったよ。ただ、空手の百人組み手はかかっていく方も必死だけど、この場合はそうでもない。私の出番が十一時だから、自分の出番の二つほど前、八時か九時くらいに会場に行って様子を見ていたんだけど、やっぱり異様な感じがしたな。なぜかというと、まず、組み手で打ちかかっていく担当がしゃべり、次に三十分ぐらいそれに対して吉本が話すというスタイルなんだけど、脇から見ていると結局、相手が何かしゃべっているときは吉本はみんなと一緒にいるんだけど、たとえばストリップのコーナーになると、ささささっ、と前に行ってかぶりつきで観ていたりとか、そんな感じだったんだよね(笑)まあ、二十四時間ずっと真剣勝負ってわけでもないんだ、これが。

 

――そういうところを聞くと、一気にいいハナシになりますねえ(笑)吉本のジイさまにとっちゃ、単につきあってただけで、やりとりの中身なんざ実はどうでもよかったんじゃないかな。

 かも知れない。で、イベント自体は二十四時間ぶっ続けだから、基本的に無礼講で、途中で腹が減ったら飲み食いしてもいい、という了解があってさ。みんな、朝からやっているから疲れたな、とか言って勝手に寝転がったりしていて、主催者側の代表の三上治が出てくると、吉本もパンをかじったりしながら見ているわけだ。じゃ、次に今の問題について吉本さんは、と指名されると、ささささっ、と前に出ていって話す。そんな感じだったよ。

――吉本隆明に二十四時間つきあわせる、って発想そのものが時代を感じますね。おそらく、後の『朝まで生テレビ』なんかにも通じるものがある。田原総一朗にしても、そういう「徹底的に話し合う」的な幻想がある程度まで共有した体験があるんでしょうし。もっとも彼はテレビの場で明らかにそれをダシにして「ショウ」に仕立てたとは思いますが。

 もともと吉本は、何を話しているのかよくわからない人なんだけど、あの時も突然オーバーヘッドプロジェクタで何か映像を写し出して、HF何とかという、五年後に発病するか、六十年後に発病するかわからない白血病の因子がある、白血球の因子を何とかかんとか、とか言い始めた。「何だ、この人の話は」と、みんなよくわからないながら吉本がしゃべってるんだから食い入るように見て聞いている。その因子が西日本にはこれぐらい、何パーセントぐらいいて、東日本が逆に少なくて、これがパーセンテージをこう考えると、こちらの方にもともとあった集団がだんだん東の方に移っていったのがわかる、というようなことを延々としゃべってた。で、ずっと聞いていると、要するに日本人は大陸から来たのが九州に入って東の方に行った、という話なんだよね。それが、話し始めて十五分たたないとわからなかった。

――ああ、つまり、日本人はどこから来たか、という、日本民族の起源の話だったんですか。当時、流行ってましたからねえ。

 そうなんだよ。でも、それなら最初に「日本人の起源はいろいろありますが」と言ったらいいだろ? 私は、大学の日本語文章教室で教えているとき、「まず、これから何を話すか要点を言いましょう」とよく言ってたんだけど、吉本の話はまさにその逆で、ほんとによくわからない。いつもだいたいそうらしいんだけどね。でも、それがまた一部の若者にはものすごくありがたく聞こえたものらしいんだ。まあ、そもそもお経と同じで、わからないからありがたいということなんだろうけどさ。

――その「わからないからありがたい」あるいは「カッコいい」ってパターンは、後の80年代のニューアカデミズムまで確実に尾を曳いてましたね。例の『構造と力』とか最たるもので。あたしの知り合いで、今もまだ大学の教員やってると思うんですけど、そいつが当時、ニューアカ全盛の頃に読んだその手の本――おそらく翻訳ものでクリステヴァとかラカンとかそういうんでしょうけど、それをあとになって読み返してみて、どうしてこれをオレは当時、わかったつもりでスラスラ読めてたんだろう、としみじみ言ってたのがいましたからね。訳文が悪文だったかも知れないことを割り引いても、その感覚はなんかわかるところがあります。つまり、ニューアカはつまり戦前の「福本イズム」みたいなもので、その意味で日本浪漫派なんかにも通じてゆく、明治の初期に意味なく漢語をありがたがった頃からのニッポン近代のインテリに骨がらみなコトバのビョーキ、というのがあたしの持論ですが、そういう近代百年になんなんとしてきた「わからないからありがたい」を発症するコトバのビョーキが、少なくとも90年代以降、オウムの一件くらいを境にみるみる棚落ちしていったのは、とりあえず健康なことだったかも、と思ってます。


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 当時吉本をそういう具合に信仰していた若者は、自分たちは前の世代と断絶があって、大人が嫌いだ、って言っているくせに、やはりそういう大人をヒーローとして求めていた、ってことだよ。そういう類のインテリにとってのヒーローの人材というのは、戦後に限っても何人かいたけど、中でもやっぱり吉本は特別だったな。

――その呉智英さんが吉本隆明を評価するポイント、ってのは、端的に言ってどのへんですか?

 それまでの、旧来の共産党の一元支配に対して闘いを挑んだ、このことだね。当時、共産党に盾突き、批判するということは出来なかったんだよ。特に党の自慢は「おれたちは十八年、不転向でやってきた」ということで、実際、そういう人はほかにいなかったから言われても反論できない。監獄に入っても、十八年どころか三カ月だけいて、拷問され、利権をちらつかされて、みんなへたって出てきてたわけだで、その意味じゃどこかでスネに傷を持っている。それを「十八年いたじゃないか、宮本先生は、同志ナガタは!」とやられると、これは誰も言い返せなくなる。それに対して「おれは五年いた」、「八年いた」と言っても、「でも、十八年はいないだろう」と言われりゃ、そりゃもう黙って引き下がるしかない。「獄中十八年」という葵の印籠はそれは強烈な効き目があったんだよ。 でも、それを吉本は「十八年もいたから悪い」と言った。それがどうした、文句があるか、だよね(笑)

――まさに桂春団治(笑)「代々木、サヨしぐれ」ですか。

 そんなもんだ。で、そこまで言われると、今度はなかなか言い返せないんだよな、これが。

 しかし吉本は、ここで言語のアクロバットを使っている。私はその点を批判したんだ。つまり、前述したように、転向という問題を客観的に分析することは、当時、共産党のイメージがあまりにも強くて誰もできないので、言論界はごく一部の非転向と、その他の膨大な軟弱腰砕け知識人、という構図におさめようとしていた。で、それ以外は、保守系の実務家、つまり東大を出て官僚になる人、地方で頑張って自民党の議員になる人。そういう人しかいなかったんだよ。

 だから、知識人の役割が、社会に対する監視と意義申し立てだと考えるならば、その人たちは基本的に共産党の一元支配下に置かれることになる。これはもう逃れようのない時代の構造だったわけだ。

――でしょうね。思想とか論壇とか言っても、要はその「実務家」系の認識や世界観、言説みたいなものをあらかじめ排除したところで成り立っていた、ってことですよね。少なくとも「戦後」の言語空間でそれらが成立してきた経緯や来歴を考えると、まずそういう構造自体をカッコにくくる視線がないと、いまどきもう全く役に立たないわけで。それは個人の思想信条がどんなものか以前に、いまのこの状況でいくらかでもものを考えようとする時に基本的に共有されるべき認識、だとずっと思ってるんですが、でもどういうわけがそうでもないままズルズルきてる、って感じです。サヨク/ウヨク図式にだけ落とし込まれるのが関の山だったりしますし。

「団塊の世代」と「全共闘」㉖ ――「大学」の衰退、戦後の終焉の風景


●大学という場の磁力、日本人の退嬰化

――大学自体、そういう「教養」をわが身に紐付けて形成してゆくような教育を、最近はもうしていませんし。

 そう、ただ昔から大学は、そういう教育をしていたとしても、それは一般的な教養教育にすぎないんであって、制度が崩れたなかでも個々の学生はそれをしなきゃいけないと思って自分で学んだんだ。学校が、たとえば学生運動でこういうもの読めと教育するわけじゃない。

――大学という場ではあったけど、別に授業で学んだわけじゃない、と。今、その場自体が機能していないのは、内圧がないからですよ。街と一緒なんだもの。自治会がなくなったからスーフリみたいのが出てきたわけですよ。結局、革マルがいなくなったらもっと悪いのが出てきたっていうのと一緒です。以前は、大学とは四年間帰属できる特殊な場所だという幻想があったから、自治会だってサークルだってあり得たわけだけど、今、まったく通り道ですよ。


 それはむしろ、大学当局の側の問題もあるね。かつては学校に歯向かっているやつがいたんだけれど、学校側はゼミという形とかさ、教授が気に入った学生に明日うちにメシでも食いに来ないかって誘ってそこで議論をして、で、先生の書斎をみて、先生、こんな本読んでるんですか、いやー、昭和の初め頃はみんな『三太郎の日記』なんて読んだんだよ、なんて。そういう議論が当然あったわけだよ。

――今それやったら、セクハラで大問題になります。セクシャル・ハラスメント、パワー・ハラスメントですよ。「メシにつきあわされました」、「家まで来いと言われました」。研究室もドア開けてないと今、大変なんです。学生と一対一で部屋にいちゃダメなんですよ、女の子の場合は必ずドアを開けておけって。

 それさ、俺が高校時代の『高三コース』あたりに書いてあった「男女交際について」みたいだな、うちに女の子を呼んだ場合は必ずドアを開けておきましょう、とか。


――それを今、大学で公然とやっています。どんどん後退している。石坂洋次郎まで退嬰化して「青い山脈」からやり直さなければダメだ。「青い山脈」って、いま読み直すと面白いですよ。どこの国の話だって感じ。これが日本ですよ、ついこの間までの。



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 自転車に乗って歌うやつだ。俺、中学の頃は、熱中はしなかったけど、けっこうみんな読んでたね。

――それ、本気で読んでたんでしょ?(苦笑)

 中一、二の頃は、戦後十二、三年しか経ってないからね。青い山脈の、あの雰囲気は、まだ残照としてあった。

――漫画でも、東海林さだお作品における恋愛ってのも調べたら面白いですよ。いろいろ出てきます。フジ三太郎なんて、あれ三十歳そこそこの想定ですからね。年齢不祥だけどサラリーマン・マンガってみんなそうです。


 東海林さんにとっては、孫に近いような世代だ。今、七十歳くらいだから。


――サザエさんは二十四歳、たまげますね。

 それをいうなら、波平さん、今の俺より若いんだ。すごいでしょ。七十くらいにしか見えない。あの頃の定年が五十三とか五十五歳だから、俺より七、八歳は若いんだよ。帽子かぶって会社に通ってる。あと何年かしたら定年。今、俺と波平さんが飲み屋にいって、お父さんて呼んでもおかしくないでしょ。本当にこの二~四十年で日本人全員がトッチャン坊や化してきてるんだよね。

――ひとしなみに、ね。だから友達親子なんですよ、精神年齢同じなんだ。

 夏目房之介と話してたんだけど、前の千円札、漱石だったでしょう、晩年の。あれ房之介より若いんだよね。死ぬすこし前だから、四十七、八歳なんだよ。房之介は俺より五、六歳下だから五十四、五歳かな。今の彼の方がちょっと年上だから、兄貴面して漱石に「金之助、お前、こんなことも知らないのか、ダメじゃないかよ」と言う立場になってしまった。ところが顔を並べたら、今でも房之介が漱石先生をおじいさんはムリでも、親父と呼んでおかしくない。


――アメリカ人なんか三十歳くらいでも結構おっさんでしたよね。日本人異様ですよ、もともと子供っぽいところへ持ってきて過剰贅肉の付き具合がなんともまた、ウーパールーパー状態だ。生き物として活力があるとはいえない。将来的には、何らかのかたちで絶滅の危惧も充分あるように思ったりしますよ。




●戦後の終わりに何を備えるか


 基本的には経済にしろ文化にしろ、いま、ここにきて日本は、戦後の何十年か分の遺産を食い潰しているのはまちがいない。この先、よほど何かすごい内部改革のモメントが起きない限り、この流れはとまらないように思うね。
ただ、これは以前からの持論なんだけど、幸か不幸か、日本がなんとなくこの六十年間、外国から攻められなかったのは、憲法九条の問題もあるにしろ、やっぱり地理的な条件、要は島国だった、というのが大きいんだよねえ。

――それはもうどうしようもないですね。あと日本語という天然の障壁も。まず言葉として難しいから、好むと好まざるとに関わらず、これが文化的な障壁になってきた。もちろん功罪相半ばするわけで、パソコンにしても前はNECの98とか、情報システムも自分の国のものでしたから。

 ただ、戦前、日本が朝鮮を植民地にした時、日本語を強制したらみんな簡単にしゃべれるようになったじゃないか。朝鮮語と近いから。逆にいえば、朝鮮民族が日本に対して言語的に侵略しようと思えば、それも簡単なはずだよ。

――それに比べると、今のシステムはオープンになってきてますね。若いやつらは英語をそれなりにしゃべるし、翻訳ソフトも出て、そういう言語的な障壁は、かつてに比べるとかなり低くはなっていますね。

 やっぱり島国、海の問題だと思う。いくらミサイル飛ばしてきても、本気で国を侵略するには、最後に陸上部隊が入って統一しなければ話にならないだろ。地続きだったら歩いていける。でも、海の場合はいくら先制攻撃でミサイルを撃っても、じゃあ、その国を亡ぼしたあとどうするか、となると、上陸用舟艇出して所詮一回に千人、二千人単位だから、やっぱり数十万人単位で攻め込まなけりゃほんとに占領なんかできやしないわけだよ。そういう大規模な上陸作戦を仕掛けるのが大変だから、これまで日本は安穏としていられたわけだ。ただ、いつ頃からか、文化的、精神的な崩壊が起きて、ずっと続いている。このウーパールーパー状態はどうなんだろうとは、思うんだよね。

――左翼だけじゃない、保守も少し前からもう、訳わかんなくなってるじゃないですか。反米原理主義みたいなくくりで小林よしのりと斉藤貴男がひっついてるのなんか見ると、危惧というか揶揄しながら敬遠していますが。

 あれは、『わしズム』(雑誌)を運営する上での成り行きだろう。本気で、というわけじゃないと思う。

 そうかなぁ、そうならいいんでしょうけど……最近は付き合いがないから事情がよくみえないけれど、ただ、斉藤貴男が●●ガイなのは確信しているから(笑)いろいろまずいとは感じている。


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 斉藤貴男は『梶原一騎伝』(文春文庫)だけは名著で、あとはどれも面白くない(笑)。頭は悪いが、ただゆとり教育に対する批判については、貧しさの原体験があって「こんな教育制度では、金持ちは公立学校から逃げて塾に金を落とす、学校にカスばかりが残ってしまう」と、自分の体験を引き写して書いていて、もっともだと頷ける。彼は屑鉄屋の息子かな、顔は坊ちゃん風だが家は貧乏だった。親父が事業に失敗したかで没落し、本来ならば高卒で就職するところを、成績もよかったから早稲田に入ったので、その程度の頭はあった。最近の石原慎太郎批判にしても、いまどき『空疎な小皇帝』というからよほど何かを言っているのかと思ったら、どうでもいいことしか書いてない。

――どうもねえ、なんというか……姜尚中に似たルサンチマンをものすごく感じるんですよねえ。

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 ああ、それはある。屑鉄屋と、豚を飼った家というのは近いものがあるんだ。

――またそんな……(苦笑)差別だと思われますよ。

 いや、差別ではなく現実だよ。問題はそういう環境でそいつが駄目になるかならないか、ということなわけで、環境が近ければ社会に対して同種のルサンチマンをもつのは当たり前じゃないか。

――明快ですねえ。いや、確かに顔つきも考え方も近いかも知れない。今は困ったことに、その「貧乏」が顔や身振りに出なくなっている。昔は独特のにおいがあったんですが、あの二人はそれがわかりやすい。環境から来る独特の具体的なにおいがあります。

 昔の下町じゃ、どぶが実際に年に何回か氾濫していたからね。これは都市の廃水処理の問題で、ボウフラが湧きカビが生え、部落でも川が氾濫して下水に流れず、しかも家が過密に建っているから当然廃水の量も多く、処理能力が追いつかない。

 『自虐の詩』(業田良家)の熊本さんですね。一般の家でも汲み取り便所のにおいがあったけど、今の人にはわからないでしょう。


 ここ数カ月、俺は「謀略省」というものを考えている。最近の国際情勢下において現実的な平和を守るためには、ぜひつくる必要がある、と私はみている。基本的な考え方は、「謀略で、隣国同士がいがみ合おうと喧嘩しようと知りません」というものだ。

 官房副長官も同じこと言ってました。つくるぞって明言しています、公けにではないけど。宣撫工作ですね(笑)。

 戦後の、ソ連に対する親しみだって、実はロシア文化に対するもので、ソ連が政策的に流したものだし。

――だから五木寛之も、李恢成も露西亜文学にいったんですよね。

 さらに国土も利用して、バイカル湖はこんなに美しい、とか。

――寒いだけですよね。

 いや、バイカル湖はきれいらしいよ。行ったことないけど(笑)、やっぱり世界でいちばんきれいな湖なんじゃない?

――大阪万博ソ連館で、何の知識、先入観もない人を「やっぱりソ連はすばらしい」って感動させ、国威発揚人工衛星まで打ち上げた。一方、中国はパンダを送ってくる。今は女子十二楽房、こういうのが「スパイ」でしょ、やっぱ。一部で、呼んだのは実は元オウムの筋だとかも言われてますが。



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 この間死んだ橋本龍太郎が中国の美人スパイに転ばされたか転ばされかけたか、と話題になったし、ソ連はもうその当事者たちが死ぬ時期を迎えて問題になっている抑留問題とか、あれほどの大事件でありながらそれほど騒がれずにきた裏には、ソ連の仕掛けていた謀略があったわけだ。

――戦後、日本がアニメとか東南アジアに対してしてきたことを謀略だと向こうが言い出したけれど、たぶんこちらは通産省なども考えていないでしょう。

 日本は意図してはやっていないよ。

――文化も含めて戦略物資だという、そういう政策の考え方は、いまの学校教育では無理ですよね。

 できないと思う。

――ムラの外のリアルとどう向き合うか、という何十年が、ここに来てふたが開いちゃった。ミサイルが飛んできて「戦後」が終わっちゃった、ということですよね。みんな「終わりつつはあるなあ」と思っていたところに最後の幕がいきなり来た。あと水谷建設の事件で亀井静香が捕まれば、間違いなく終わりじゃないですか?。検察は狙ってるでしょうから。結局、小泉が駆逐したものは、野中、橋龍、亀井、加藤紘一……と、並べてみたらこれ、すごいですよ。時代が変わるとはこういうことかと感じ入ります。

 ただ、話はさらにずれるけど、ホリエモンと村上が捕まったいきさつは、反小泉分子がどこかで動いているってことじゃないの?

――ホリエモンは中国筋がらみもあるみたいですが。

 改革派にくっついていたホリエモンを、旧エスタブリッシュメント派の官僚が、追い落とした?

――それはあるけど、政府サイドも、堀江をまずいと思っていみたいで。というのは、当初よくわかっていなかった節があるけれど、堀江・ライブドアは最後の方、中国に相当投資しているっぽいんですよ。香港じゃなくて大連に。というのは電話サポートセンターを大連に持っていった。国際電話よりネットを使った方が安いから、日本語の出来る中国人を多く雇って安くやらせていたのがマネーロンダリングに使われて、野口英昭は沖縄で殺された、と。あの殺され方は支那人がらみじゃないか、と言われてますね。


 あり得るね。

――地方競馬の関係で二年ほど前、たまたまライブドアと現場の間を繋ぐ役回りになったことがあったんですけど、それってフジテレビを買収するとか言い出す半年前ですよ、でも、その頃から、とにかく理屈じゃないから「ライブドアだけはだめだ」って、国会議員の周辺がすごく頑なにNG出してきてたんですよ。なぜそこまで頑ななのか、訝ってたんですが、いま考えると、その前ライブドアプロ野球の件でナベツネとやりあってますよね。その時におそらく警察や公安なんかの関係から、何らかの情報がいっていたんじゃないかなぁ、と。無論、後藤組などやくざ関係はあるだろうけど、同時にきっと中国マネーがらみも何かあったんだろうな、と今となっては思ってます。

 では小泉も、ホリエモンには警戒していたの?

――じゃないですかね。武部はバカでお調子者っぽいから考えてないでしょうが、小泉はその辺冷静だったんじゃないかなぁ。あと、あの界隈のIT長者系だと、村上世彰は父がインド系で、だから最後はシンガポールに逃げたんだ、とかいろいろ言われてたりしますよね。

 ああ、そうか。顔つきで、目がギョロッとしてるのは四分の一が印僑系だからだ。あと四分の一が華僑、お母さんが日本でしょう。


――こうしてみると、団塊だけじゃなく、日本のITバブルの内実、立役者として踊ってた界隈の背景や出自来歴などの検証も必要です。

 まあ、そういう意味で言うなら、今の日本の教養、文化はITを含め、焼き畑農業の状態なんだよ。ゼニカネの効率でそれを回している。つまり自転車操業だ。

 ただ、俺はその辺りむしろ楽観的で、金で済むことなら、あと十五年か二十年を収奪農業でうまく食っていけばいいと。

――それ、むしろ厭世的なんじゃないかと(笑)。

 そう、俺、厭世的なんだよ。

――僕は、呉さんよりまだ年下で若いせいか、根本的に不安ですよ。底辺があればこそ、ピラミッドは高い。教養も一緒です。しかし今の日本では、底辺がなくて、頂点は初めから頂点なんです。だから、底辺が頂点を支えるという物語は、おそらくもう成り立たないと思う。


 実際には、ゲームソフトなどもう韓国、台湾の翻訳物ばかりで、日本はハードは出すけど、それに乗っかるソフトで、オリジナルがほとんどない。しかたないから英単語、頭の体操など、大人向けに売るわけじゃないですか。RPGも、ストーリーはほとんど韓国、台湾です。それを焼き直して日本語版に乗せるのが精いっぱいで、さっきのゼニカネの効率で言うと、そっちの方がいいんですよ、一から作るより。


 だから通産省が何を言おうが、マンガ立国、サブカル立国などあり得ませんと、現場のやつは言いますね、バカじゃないかと。異様に早くなっているのは、その収奪農業のサイクル。その根本は、やはりさっき言ったみたいな、教養自体が自分の成長――あ、いや、成長という言葉はもうあまり言わなくなりましたが、まさにビルドゥングスとかの「過程」は本質的に変わらないはずなんです。いつアクセスしても、一定量の情報が処理できる環境が保証されているから、かつての「青春と読書」みたいな教養主義は、もう存在しないしできない情報環境になりつつあるんです。

「団塊の世代」と「全共闘」㉕ ――「教養」願望、と、おたく的知性の関係

*1
*2

●教養願望とオタク的情報量の集積

――でも今、浅田彰宮台真司がアニメ語るとカッコ悪いでしょ(笑)。もちろん、当人はそう思っていないんだろうけど。

 それは、教養になり得ていないんだよ。

――マンガでも一緒ですよ。浅田が岡崎京子を語ったら、ほんっっとにクソ、ですよ。


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 多分そうだと思う(笑)

――でもね、それでも浅田彰あたりはモードとしては、まだそういう古い知識人を引きずってる方なんですよ。それをもっと劣化させて朽ちさせると東浩紀になるんだけど。

 だからそのへんがきっと微妙なところなんだが、それは単におたく的な知識の総体であって、教養ではないんだよ。

――教養になりえない。いかに情報量があって処理できていても、教養というには自意識との絡み方が違う、おそらくそこなんですよ、問題は。あくまでも情報だけで、自分の生とか経験と結びつけたものになるかっていうと、ならないんだ。情報は、誰からもアクセスできるサーバとして別に置いてあるけど、それは決して自分のものじゃない。そこに特技としてアクセスすればいいだけ、と。

 そう。そこの世代的な違いがね、多分八○年代くらいからあるんだと思う。でも、それは必ずしも六○年代後半の問題ではないと思うけれどね。

――団塊の世代とそれ以降のターミノロジーが一緒じゃないか、って呉さんが言うのは、全くそう思うんですが、ただ、そのことに同時に違和感があるとしたら、その違和感をうまく自前で表出できないから今みたいな俗流団塊批判にいくんだよなあ、と思うところもあるんですよ、端から見てて。

 それは半分くらい、あっているような気がする。ただやっぱり半分であって、団塊よりももっと後まで続いているからそうじゃない、みたいなところもあるよ。多分七○年代に青春期を送ったやつにもまだあると思う。おそらく、もう少し後の世代までそういうのは続いている。

――確かに、幅はありますよね。まあ、あたしゃたまたま両方の世代が見渡せるところにいちゃってたみたいだからそのへん、かなりアンビバレンツですが。でも、それこそさっきの例でいけば、東浩紀たちには、もうわからないはずですよ。

 しかし、団塊批判をして溜飲を下げているのは、世代的には大月君の前後だよ。その頃まだフラグメントになった情報を、自分のバッグに入れて得意がって運搬しているようなやつはいなかった。そういうやつは、もっと下の世代だもの。

――自分ごととして言わせてもらえば、あたしらの頃、そういう連中が少しずつ出始めてたんですよ。でも、それはまだカルチャーエリートだったんですよね。たとえば唐沢俊一であり、岡田斗司夫なんかが典型で、まさにオタキングなわけです。外目には変なやつだけど、自分では確かにエリート意識を持っていた。その限りで教養みたいな意識はどこかであったんだと思うんですよね。


 ついこの間、岡田がどこかで号泣してた、って聞いたんですよ。どこかのイベントで「オタクは死んだ」と泣いた、って話。当人に確認はしてないけど、その話を若い衆なんかから耳にして、どういう脈絡だったのか聞いてみると、要は「エリートとしてのオタクは、もういないんだ」ってことを改めて認識したらしい。でも、そんなの当たり前じゃないかと思うんだけど、彼にしたらおそらく、それまでの世代の教養を知的エリートが担っていたように、正にある種の前衛意識を持っていたんだろうと思うですよ、そういうとんがったオタクの第一世代ですからね。でもその後、オタクもどんどん大衆化していったから、そんなことも言っていられなくなる。そのサイクルがわずか二十年で起こっちゃってる、ってことなんだろうなあ、と。



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 ああ、だろうなあ、中森明夫なんか全くそうだな。彼はわりと古いメンタリティを持っているよね。かつては新人類とか言われて喜んでいたけれど、よく考えてみるとかなり古い教養願望があった。


――そういうの引きずってますね、新人類というのは。意識してたかどうかは別に、ですが。世代的にはあたしくらいで変わらないけど、でも、あたし自身、現役で大学入ってることもあって、実世代的にはかなり上と親交している部分があって、浅羽通明なんかもそうだけど、まだそれ以前の教養カルチャーの尻尾がはっきり残っている。そのことは当時から自覚してましたね。ほんとうはあたしらの世代だと、福田和也みたいになるわけですよ。けれども、そこにもまた亀裂が生じていて、あたしゃ福田を最初に見た時なんか、ああ、そうか、知識・情報と自分との関係の付け方のこれだけ平然と違うやつが出てきた、と思いましたね。

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 だけど福田は、最近、断片化した量だけがたくさんある知識や情報もいいけれど、やっぱり古典と格闘するのは必要だって言ってるよ。自分ではセリーヌなんかと格闘している、と。意識はあるようだけど。

――言うだけなら言えますよ。でも「自分でやってるのか、今?」ってことですけどね。


 前から言ってるじゃないですか。山口昌男中沢新一に騙され、鶴見俊輔大塚英志に騙され、江藤淳福田和也に……と、その「構造」は基本的に全部一緒なんですよ。そこの落差を、見えていても大したものだと思わないがゆえに騙されるわけで。それは思えばオウムの時も一緒だった。



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 たしかに本は読んでる。けど、教養という地図があるとして、福田の立場で当然これは読んでるだろうというのを読んでいなかったりするんですよ。僕から見れば、アメリカのカルチュラル・スタディやってる若い連中と同じ世界観なんです。今、ネットがあるから、アメリカあたりの若い世代の院生なんかでも、こっちの日本語で書かれてきたとんでもないものを読んでる。それこそ、僕の大学院時代に書いたようなものまで読んでて、うわぁ、こいつらいったい何をどう読んでるんだ、と思ったんですけど。

 ネットで卒論を引っ張るの?

 引っ張れます。でも裾野があるじゃないですか、フリンジの部分が。それはやっぱりそこにいなければわからないもので、そこが文化だと思うんだ。たとえば福田は、保田與重郎にはくわしい、だけどそれは復刻したからだろうって話ですよ。ぐろりあ・そさえてが保田與重郎を集めてた頃は、手間も時間もかかったけど、そういうことをしないですんで、復刻版が出たからポコッとやったんだろうって。


 西部邁さんに対してもそういう感じ、あるんです。西部さんというのは早すぎるポストモダンだと僕はずっと思っていて、ある時期長く沈んでいて、蓄積はすごいですよ。しかし当然これは読んでるだろうという本を読んでいない、橋川文三は読んでないだろうし、柳田國男は「読んでないよ」って正直に言っていた。それが、読書傾向の片寄りっていう程度ではなくて、この抜け落ち方の落差っていうのはむしろ福田和也と似ている。だからこの二人、通じたのかな、と思った。


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 そこの違和感は、僕には根源的です。つまり、たしかに団塊の作り上げた生活的なカルチャーの中で、僕たちもその連続体の中にいる、それは呉智英さんの言う、まったくその通り。でも、そこにいながら違和もあるから、なんか文句言うやつもでてくるわけで。そこの違いっていうのはそれこそオウムとかの問題に戻っていくんだけれど、なにか自意識のあり様なんですよね、もう構成のされ方が違っている。


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 たしかにね、断片的な知識をそのままたずねただけで、階層が作られていないんじゃないかな。知の階層が作られていないから不安定だ。

 そう、整理されてないでしょう。


●知識の絵図面の設計思想

 俺たちの中だったら、たとえば社会学やるなら、誰の説も誰の説も誰の説もじゃなくて、自分はウェーバーならウェーバーをやると決める。それに対してちょっと違う視点からマルクス社会学的に読んでみると、いいこと言っている。ジンメルもこれでいいんじゃないか、となる。するとマンハイムはこの辺りだな、と位置がわかってくる。

 何となくズレはあるけれど大体こういうものだっていう共通認識は、みんな持ってて、だから話ができて、議論もできてきた。しかし福田を見た時、まったく違うものが来たって思ったんですよ。なのに、上の世代がこれを評価する。なんでこのズレがわからんのだろう、っていうのがずっとあった。

 ただ、俺はそうはとらなかったな。俺は最初に『奇妙な廃墟』を読んで、コラボ(コラボラトゥール)研究をやってるわけだから、コラボを研究するっていうのは、彼自身になにか内的な基軸があって、それに合わせてやってるのかなと思った。

 うーん、自分に近いせいで余計見えていないのかな。それは僕も斟酌するけれど、でも福田だけじゃなく、近いのがいっぱいいる、宮崎哲弥なんかもそうなんですよ。本は読んでるけど脈絡がない。

 宮崎君の場合は、やっぱり幼い頃の体験があってね、家庭がどうのこうのってあって。

 言うよね、ホントかうそか知らないけど、言いたがりますよね、家庭が、って。

 それと彼は、自分は文学はわからないって、これはわりと正直に言っている。

 正直というか、ある種、政治的ともいえますが。


 まあ、俺たちの場合は文学がわからないって言うのは通じなかったんだよね。それを言うのは禁じ手だった。

 もう人間じゃないって感じですよね、当時は(笑)。

 いや、そこまでは言わないが(笑)。だから、文学、なんでもいいんだよ。自分が好きな、永井荷風でもいいし三島でも。それがわかった上に図面が書けるから、それを相手と照らし合わせた上で、その差異をどう考えるかと議論していった。

 その地図を共有していないのが、下に膨大に出てきた。

 たしかにそうだと思う。今の二十代、三十代だと、頭の中にそういう知識の絵図面ができていないんだよね。

 こっちから見てもできてない。あいつら側にあるのかもしれないんだけれど。

 それは、彼らの中でその必然性がない時代になっているような気がする。

 そう思います。必要がないからやらない。困ればやりますよ、人間。

 俺たちの場合、自分なりにたとえばマルクスを基本の重心とする配置を作って、自分はそれに対してバランスを持ったウェイトをおき、自分の人生観を作って、社会に出るなり世界を見分けたりした。今の場合は学生たちが、これも良い面悪い面あるんだけれど、真面目になっているというか、よく授業も受けて。そのままいけば普通に就職もできるわけで、自分の中で新たな社会を見るための見取り図、チャートを作る必然性があまりないでしょう。だから知的エネルギーはオタク的にトリビアなものに集中していっちゃうんじゃないの。

 量の集積はしていますよ、たしかに。今こういう時代だし、できるから。でもほんとに合切袋に詰め込んだだけ。こっちから見てると、どう引っ張りだすんだろう、って。でもって修養になってない、昔ながらの教養、修養、自我の陶冶になってない……ものすごい言葉が出てきちゃったけど、そういう意味では、全然成長のモメントがないわけです。まあ、かわいそうといえばかわいそうです、あれだけの情報が入ってきていて、じゃあ丸山眞男まで辿り着けっていったら大変だもの。

 だから、丸山眞男を一つのアイテムって形で、たとえば政治思想史をやれといわれれば彼らはやると思うよ。その中で、でも自分なりのモチベーション、必然性と結びつけた時に、重心の置き方が各人いろいろ違ってくるわけでしょう。ウェーバーがいい人、マルクスがいい人、それぞれ自分なりに絵図面を書いて、自分はこういうのを書きましたと出せるだろうけど、先生がじゃあ丸山を読めっていった時、そこに丸山がランダムに配置されるだけで、自分なりに配置をする設計思想ってのが出てきてない。


 遠近感がない。いつまで経っても浮遊した断片がいっぱいあって、それを袋に入れて運搬しているだけ。何となく好きだってのはもちろんあるんですよ。でもそれ以上にならない。好きが構造化されないからリニアな形にならないし。

 ひとつ、外的にはインターネットで情報を入手しているということがあると思う。よく言われているように、新聞とか書籍と違って、情報が全部、等価に一アクセス、一結果にしかならない。

 もう一つは、若者たちが人との深い接触を嫌がる。自分自身が傷つきたくない、ということ。一つの構造を持った世界観を自分で作るのは大変しんどいし、自分をみつめ直すことだし、人と接触してその中で自分が絵図面を提起して相手の絵図面と照らし合わせて、さらに高次な絵図面を作っていく作業は、相手にかなり踏み込まなきゃいけない。

 で、相手から叩かれます。作らなければ叩かれない。だから表明しない。

 その通りなんだ。で、そのまま大学四年間やれば一応出席は、そのエネルギーは出席の方にいってるわけだから、適当にいい会社に就職できてしまう。

*1:挿入気味に言うておかねば勘違いされそうなので。この一連のエントリー、2006年頃の未成の仕事の草稿だったもの、為念。

*2:あ、聞き書きというか、話し手の主体は呉智英夫子でありますので、そのへんも。

「団塊の世代」と「全共闘」㉔ ――オンナの自意識、教養主義の残映

●女の自意識、戦後フェミニズム

――明治、大正、昭和と、女の欲望、自意識も変わってきます。女に自意識どころか性欲がある、なんて当時としてはとんでもない話だったわけですよね。

 俺の子供の頃、母親の「主婦の友」の性の悩みコーナーとか見ても、女に性欲があるなんてなかったね。女は受け身であるとか、外から働きかけられることによって性欲が喚起されるのであって、最初からはない、という感じの説明だったはずだよ。

――夫に求められたら体を開きましょう、という啓蒙主義もあったし。

 そう、自分から積極的に、というのはなかった。

――ま、夫の性欲が強すぎて、といった悩みはあったんでしょうが。

 それに、男は視覚で興奮するけれど女は聴覚から、なんてこと言われていた。男は女のヌードを見て興奮するけれど、女はそういうことはない、むしろ聴覚で、耳元にアイシテルヨとか囁かれることで感じる、と。今は女も、ビデオ見ながらするだろ。

――人によるんでしょうけどね。ただ、最近ですけど、性転換した人の書いた本があって、中身についてはまだ検証が必要なんでしょうけど、それによれば、自分の意識が男になったり女になったりする、っていうんです。そうすると性感がこんなに違う、ということまで書いてる。男の場合は射精に全て集約されるけど、女は違うんだ、って。まあ、わかるような気はしますけど。

 そういうのは、いくらかはあるかもしれない。だって男でもさ、精神をコンセントレートして女的なところへ持っていった時には、胸をちょっと触られてゾクッとするとか、あるいは逆に、社会的な意味でも女は意識が受動的になっているから体の感覚も過敏だとか、その程度は先天的なものか後天的なものかわからないけれど、まあ、あってもおかしくはないよね。

――と思います。っていうか、あたしも半分くらいオンナの部分があるようなんで(笑)、ただ、呉智英さんたち当時の男は、女を自意識を持った個人として見ることがあり得たか、ということなんですけどね。



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 数年前ですが、田中丸勝彦さんという呉智英さんとほぼ同年の民俗学者が亡くなっています。唐津の田舎育ちでしたが、女性について「昔、村の中の女の子と結婚するやつはバカにされていた」と言っていたんです。「よそから嫁も取れない。どうしようもなくて幼馴染と結婚した」と。ところが最近は、幼馴染との結婚はかえってステータスになっている。そこがエロスの根源だとさえ言われる。そういう転換点が、戦後、どこかであったのは間違いない。たとえば、運動部の女子マネージャーが出現したのが六○年代後半ですよね。

 ああ、そうかもしれない。

――まさに団塊の青春期、じゃないですか、その頃は。『巨人の星』のころは女子マネージャーはいなかった。それが『タッチ』(あだち充)になるまでわずか十年ですよ。実態としても七○年頃、やはり野球部で女子マネージャーってのが出てきたみたいなんですけれど。山本集さんなんか言ってました。「何で女の子がマネージャーするんや。危ないやないか! 怪我したらどないするねん!」(笑)って。それまで運動部なんてのは男の共同体で、軍隊並みに危ないところだった。攻撃的で、だからスポーツに向くわけだけれど、そこに女子がひとり、身の回りの世話をするという形で入ってくると、飯場の飯炊き女じゃないけれど、意味が違ってくる。それに対して「危ないことは何もない」という前提がないと成り立たない状況、それがちょうどその頃ですね。

 女子マネージャーの場合は、戦後フェミニズムとしての男女平等という建前と、男は「世話をしてもらいたい」、女は「世話をして、いい彼氏を見つけたい」という男女の欲望、つまり本音の部分がうまい接点を見つけたのだという気がするね。制度的には女性に活躍の場を与え、同時に男と女の欲望が満たされるという構図ができた。

――だから学校という教育の場で出てきたんですね。職場だと、お茶くみではフェミニズムに怒られるから。

杉浦幸雄翁の女の奈落

 マンガ家の長老で杉浦幸雄という人がいたんだ。九十三歳で死ぬ直前まで描いてた人で、『漫画サンデー』に「幻の女(面影の人?●)」という作品を週刊で連載していた。愛読していたんだが、面白かったのは、女を見る目がこんなにも違うのか、というところでね。女の女らしいところを、それを彼は美しくかつ汚らしく描くんだよ。

――ああ、両方見てるわけだ。

 そう、杉浦は「新漫画派集団」をつくってマンガ界の前世代を担った一人で、杉浦、横山隆一近藤日出造の三人が中心だった。その杉浦幸雄と、亡くなる直前に対談をしたんだ。今から四、五年前だったが、その時、これこそ生きた思想史だと思った。当時マンガ家といえば洒落た文化人だったから、艶っぽい絵を描いたり、銀座で浮き名を流したりしていて、結婚も二、三回しているんだけど、彼がこういうことを言うんだよね。「僕は女には何度も惚れました、でも恋愛したことはありません」。

――おおお、それはすごいなあ。

 なにも俺が思想史的に話題を振ったわけじゃない。ごく自然に「僕は恋愛っていうのはよくわからない、できないし、したこともない」という。恋愛とは、個人として女を見て、人生、社会、歴史について語り合う、そういうものでしょう? と。

――そうか、内面を照らし合わせるのが恋愛であって、相手に内面がない状態なら惚れるしかない、というわけですね。

 そう。だから、たとえば美しい女であったり、いじらしい女であったりしても、それはあくまでも客体としての女でしかない、と。これはかなりの告白なんだよ。何度も惚れたというのは、何度も家庭を壊したということだし。「でも恋愛したことはない」。この一言は実は深い。生きた思想史の証人だと思ったね。

――なんだか金子光晴の書いた「バタビアの女」なんかを連想しますねえ。美人だからという。女に内面、自分と同じものを発見してしまった瞬間に、美がなくなるのかもしれない。

 そうかもしれない。杉浦と金子とは同じ世代だね。

――それって、きっとおたくがフィギュア好きなのと同じですよ。

 う~ん、それは気持ち悪いな。

――オタクはオタクで難しいらしいんですよ(苦笑)。相手にうっかり内面があっちゃいけない。たとえば少し前、生きてるフィギュアだ、なんてていわれた森高千里がいたじゃないですか。彼女はおたく連中ににすごく人気があったけど、それはそういう意味で内面を感じさせない、だからいい、というわけだったらしい。まあそれが、一歩間違うと幼女趣味の宮崎勤になるんですが。


 呉智英さん以前の世代にとっては、身の廻りの世話をしてくれるのがいい女だったわけですよね。

 昔はね。

――とりあえず最低限、それ以上求めなくてよかった。それ以外のいろんな葛藤は全部、外に出て社会の中で解消すべき問題で、家にもって帰っちゃいけなかった。仕事のことは言わない、でも家のことはおまえに任せる、子供の世話も任せておくというのが男だったから、二重構造だった。外で付き合っていい女はキツネ型で、家にいる女はタヌキ型ですよ、完全に。

 ただしそこにもね、そのパラダイムの中で、さらに男の高望みがあるんだ。オンナはとりあえず家庭的でよろしい、家のことは任せるから家政を束ねてほしい、家刀自なわけだよね。だけどそこで男が腹を切らなきゃいけない時に、武士の妻のように「戦のことはわからないけれど、あなたにはついていきます」で、一緒に腹を切ってほしいという気持ちがある。

――あれっ、そうなんですか?

 あったと思うよ。乃木将軍の奥さんなんか。

――でもあれは、まさに気の毒の極みでしょう?

 女にしてみれば気の毒かもしれないけれど、男にしてみれば自分を重視してくれるわけだから。

――夏目漱石が感動したという。でも、今じゃ論外ですよね。


 男が女に求める上限と下限があって、上は「こいつと人生ともにしてもいいかな」、この辺(中)は「ちょっとなあ」、そして下層階級に家事もできないのがいて、それは問題外。ただし、この上に特上がいたと思うんだよね。

――特上ですか。

 そう、特上はね「よくはわかりません。でもあなたがそうまで言うのなら、私も一緒に死にましょう」と。山之内一豊の妻みたいに、そんなにあなたが困っているのならこの鏡の後ろに貼っておいた金子を使ってください、と言われれば、男として果報者でしょう。

――入れ子なんですよね。九州男児と九州の女が入れ子で増幅しちゃうような。女の方はそれをよしとしていたわけじゃないですか。そこからまた自我に気付いていく女もいる、不幸なことに。

 逆にそうである前に気付く。

――自分で始末付けられない。男と違って雛型もないし。それに困っていった最初の世代でもありますよね。残間里江子が本で書いているけど「これからかわいそうな女が増えていくよ」って。「類」としての女に安住できないというか、悶えちゃう。

 悶えるだろうね。それまでのモデル、雛型がない。どういうふうに生きていけばいいか分からない。ただ、現代という時代をいくらかいい面も含めて評価すると、とりあえず女も職を持てるから食える、そうすると「あの人は弁護士で未婚の母をやっている。自分は弁護士は無理だけど、手先が器用だから美容師になればやっていけるな」と、そう傑出した職業婦人を目指さなくても、身の廻りを見ながら、わたしもこれなら生活できるかな、という風潮にはなっている。

――いまだにセレブ婚を求めてパーティとかやってるけど、あっちの方が古典だと思いますよね。職制で男を見ているわけで、これはこれで女のしたたかさですけれど。

 完全に古典だよ。俺の大嫌いな川井郁子の話、したっけ? 美貌のバイオリニストで大阪芸大の教授。旦那は東大医学部を出て、医科歯科大の教授だという、セレブ婚。


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――うわあああ、それは高田万由子葉加瀬太郎より許し難いですね。私的には死刑確定です。

 こういう、あまりにもわかりやすいスノビズムがまだ存在するから不思議なんだけどさ。ガラスでヴァイオリンを作った企業が、特殊な音色が出るからと、これを川井郁子さんに弾いてもらう。貴重な楽器を弾く川井の姿が放映されるわけだよ。俺たちからすると、何で天満敦子を出さないんだ!(笑)ということになる。

――全く事情はわかりませんが、それは、なぜナンシー関を出さないのか、と同じ口吻ですね。おそらく、才能という点で。


 天満敦子のバイオリン演奏はほんと最高で、その上、風貌はほとんど大月君だ(笑)。彼女の「望郷のバラード」って曲があって、これはルーマニア少数民族に伝わったものが滅ぼされて秘曲になり、それを彼女が何十年か振りでコンサートの最後に演奏した時、聴衆全員が号泣したという曲なんだよ。


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――うーん……でも、すいません、どうしてまた、たかが音楽でそういうことを熱く語りたがるんですか、団塊の人って。(小さな声で)中島みゆきにしてもそうだけど。

 そうかなあ。しかもこれはシベリア抑留とか絡んで……

――ほらほら、そうなるでしょ、物語を見てるでしょ、結局、音楽に。

 (一拍おいて)………そう、そう、そう!!

――だから! そこなんですよ。クラシック、歌謡曲だけじゃない。ジャズにしても、団塊の人たちにとっては、音楽よりジャズ論、映画より映画論だった。なんていうか、解釈のフィルターみたいなのをすごく持ってたから、それがまず作動して言葉が出てくる。

 持っているんだ。それが世代のバックボーン、土壌としてあった教養主義ですよ、それが現在の連中には、ない、ということだな、簡単に言っちゃうと。

――まあ、そういうところですよ。今、音は音として聴いて「いい、わるい」、あるいは「好き、嫌い」と評価はするけど、それ以上にはならない。する必要も感じない。

 ならないんだよ。ところが俺たちの場合は、教養の中で析出されてきたものとしての音楽があるんだよ。

――ましてや戦前の小林秀雄なんかだと、また意味が全然違いますからねえ。

 モーツァルト」は小林秀雄が聴いて、そこで「モオツァルト」になるわけだからさ(笑)

――その通り。そして、まだそういう変換、コンバージョンのマジックが生きてる最後のあたりなんですよ、団塊の世代って。おそらく、そのへんにまず超え難い落差があるんですよ。

 そうかなあ……いや、確かにね、問題として、底辺の拡大はあると思う。俺たち、まだ底辺が拡大してなかったから。たとえば俺たちの頃は、オーディオがさほど普及していなかった、仮に持っているにしても自宅で、下宿にはない。だから新宿の名曲喫茶に足を運んで聴きにいくわけだ、ジャズ喫茶でもそうだし。早稲田でいうと、高田馬場に「らんぶる」がまずあって、今もう廃屋になってるけど、その横に「あらえびす」って喫茶店があって……

 

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――ああ、あの有名な。

 あんたの頃はもうなかったでしょうが。

――いや、ありましたよ、辛うじて。七七年入学ですから、ギリギリあるにはあった。

 その頃だと、野村胡堂が死んで十年くらい経ってるから、確かにギリギリだろうね。一般人のためにいっとくと「銭形平次」の野村胡堂が、明治期の「報知新聞」で野村あらえびすという名義で音楽批評をやっていて、彼が自分のコレクションで作ったのが高田馬場の「あらえびす」、趣味が高じた店なんだ。

――ヤスケン(安原顕)さんなんかと生前、仕事させてもらってて思ったけど、ほんとに下町の芸術親父でね、ジャズが好き、映画が好き、煙草は吸う、酒は飲む、女にもスケベ、そういうなんでもありの雑食性みたいなものが一つの文化としてあったんだなあ、と。


 そうそう。

――そういうの、あたしゃ決して嫌いじゃないけど、でも、世代性というかそのへんでくくると、もうちょっとあり得ないですよ。そういう性癖や志向を持ってたとしてたら、それはおそらくおたくになっちゃう。

 それがね、教養はエリートが持つものか否か、という違いだと思うんだ。たとえば、丸山眞男なんかも映画が好きで、ヨーロッパが好きで、だったわけだよ。あるいは、この間亡くなった学習院坂本多加雄も映画にはまってた、っていうのがあるわけでしょ。映画なり音楽なり、自分がやっている専攻以外のところで自分をつくっている教養が、必ずなければならなかった。

―― それが当たり前、だったんですか、ほんとに。

 そう、知識層にとってはね。