思想

「団塊の世代」と「全共闘」㉖ ――「大学」の衰退、戦後の終焉の風景

●大学という場の磁力、日本人の退嬰化 ――大学自体、そういう「教養」をわが身に紐付けて形成してゆくような教育を、最近はもうしていませんし。 そう、ただ昔から大学は、そういう教育をしていたとしても、それは一般的な教養教育にすぎないんであって、制度が…

「団塊の世代」と「全共闘」㉕ ――「教養」願望、と、おたく的知性の関係

*1 *2●教養願望とオタク的情報量の集積 ――でも今、浅田彰や宮台真司がアニメ語るとカッコ悪いでしょ(笑)。もちろん、当人はそう思っていないんだろうけど。 それは、教養になり得ていないんだよ。 ――マンガでも一緒ですよ。浅田が岡崎京子を語ったら、ほん…

「団塊の世代」と「全共闘」㉔ ――オンナの自意識、教養主義の残映

●女の自意識、戦後フェミニズム ――明治、大正、昭和と、女の欲望、自意識も変わってきます。女に自意識どころか性欲がある、なんて当時としてはとんでもない話だったわけですよね。 俺の子供の頃、母親の「主婦の友」の性の悩みコーナーとか見ても、女に性欲…

「団塊の世代」と「全共闘」㉓ ――快適なシングルライフ、の尖兵

●快適なシングルライフ ひとり者=シングルの始まりは団塊世代か、ということについて、友人の山口文憲が『団塊ひとりぼっち』という本で書いていた。これはさっきちょっと触れた七○年以降の社会インフラの整備と関係することだけど、地域の共同体は崩壊して…

「団塊の世代」と「全共闘」㉒ ――オトコとオンナ、自慰の暗闇、処女性の霹靂

◎男と女、自慰の暗闇 処女性の霹靂 ――「婚前交渉」と同じように、当時はオナニーも問題になったでしょ。自慰、マスターベーション、ですが。 もちろん、問題になった。私の世代では、小・中学校の頃、オナニーは変態扱いだったね。 ――うわ……いきなり「変態」…

まるごと、としての「うた」の可能性

● いま流行っている音楽、という設定が、いつの頃からか、われわれの日常の中から失われたように感じています。そして、そのことの意味というのも、もうあまり立ち止まって考えることもされなくなっているようにも、また。 思えば、テレビのいわゆるヒット・…

もうひとつの現実、を織り込むこと

● 19世紀末から20世紀にかけて、当時の近代化先進地域から始まった「大衆社会」へと向かってゆく様相というのは、それまでの社会にあたりまえにはらまれていた「違い」――個々の人間の持ち前の性質や体質から、その出自来歴、地縁血縁含めた逃れようのない規定要…

ウクライナの「うた」、五木寛之の記憶

● いまどきの情報環境のこと、無職で隠居に等しい身の上で、外へ出て人と会う用事なども基本的になく、それこそ日々ひきこもりに等しい生活をしていても、世の動きや動静は文字に限らず画像、映像、動画に音声、いずれそれら各種「情報」として平等に、なんだ…

「みんな」と「大衆」・小考

● ラジオやレコードなど、「飛び道具」の登場してきた情報環境における「うた」の転変の周辺を、例によっての千鳥足で経巡ってきていますが、今回はちょっと迂遠な話を。それらの千鳥足の道行きの背景、書き割りの部分の整理という感じで。 「広告・宣伝」が、…

三木鶏郎にとっての「うた」の戦後

● 「広告・宣伝」に使われる音楽と、「流行歌」として半ば自然発生的な過程も含めて作られてくる音楽との間には、当時の同時代気分として大きな違いが、それなりに感知されてはいたようです。そしてまた、それらと「歌謡曲」として作られる音楽との間にも、また…

ラジオドラマのモダニズム&アメリカニズム

● 改めて言うまでもない、「うた」が生身に宿る、それは人間にとって自然な感情表現のひとつのかたちでした。おそらくそれは、時代の違いや文化、民族の差などを超えた人間本来、天然の本質といったところがあったはずです。 ただ、それが人の耳と口を介して…

対談・朝倉喬司・頌

*1 現代書館から『朝倉喬司芸能論集成』が刊行された。ルポライター・朝倉喬司氏(1943~2010)の芸能関係の文章を集めた968頁の大著である。刊行を機に、編集委員会のメンバーである、株式会社出版人代表の今井照容氏、民俗学者の大月隆寛氏に対談してもら…

『夢とおもかげ』の時代

敗戦後、流行歌は世相と結びつけられ、語られるようになりました、それまで以上にあたりまえに。「歌は世につれ、世は歌につれ」というあの有名なもの言いも、玉置宏が自分の番組で使い始めたのが、一説には昭和33年とか。この「世相」と「流行歌」の関係があた…

本邦いまどきの「ポリコレ」・考

● 明らかに何かがおかしい。いや、前からおかしくなってきているのは確かでしたが、ここにきてまたそれが一段と加速、もはや何か取り返しのつかないところにまで事態の底が抜けて、見渡す限り何やら煮崩れ始めたような印象です。 他でもない、昨今「ポリコレ…

「作詞家」と「作詞」の今昔

● 「作詞家」という肩書きも、もうあまり見かけなくなった。 いや、商売としては現存しているのだろうが、それが仕事の肩書きとして眼に触れる機会が少なくなったというだけのことなのか。web検索を叩いてみると、それら「作詞家」志望をあてこんだとおぼしきサ…

「歌謡」と「曲」の来歴

● 戦前、ざっと大正末期から昭和初期にかけて、「童謡」と「民謡」はうっかり隣り合わせになり始めていた。そこでは「童」と「民」、つまり「子ども」と「民衆」≒普通の人々が、共に「謡」≒「うた」を媒介としながら、文字・活字ベースの情報環境で編制された〈知…

雨情は必ず「うた」にした

詩が「うた」であり、「うた」である以上、それは実際に声に出し「うたわれるもの」であったということは、今のように活字・文字を介して詩を「よむ」のがあたりまえだという認識になっていると、すでに気にかけることすらないままに忘れられている。同じく…

「うた」と言葉について

「木綿のハンカチーフ」にしても「ウエディング・ベル」にしても、未だそこまで自分の内面、やくたいもないこのココロの銀幕に鮮烈な印象を残しているらしいのは、単にその「歌詞」、言葉としてそこで歌われている言葉の意味内容においてだけでなく、それが具…

「カバー」ということ

「カバー」という言い方がある。特に音楽の、個々のうたや楽曲について言われるようになった印象ではある。元のうたや楽曲があって、それを元の歌い手やバンドとは別の人が歌ったり演奏したりする、そのことをさして言う言い方ではある、一応のところは。辞書…

「うた」と「うたう」の現在

「うた」というもの言いがある。 「歌」でも「唄」でもいいし、場合によっては「詠」や「謡」、「唱」なども、表記にせよニュアンス的にせよ、そのカバーする意味あいのうちに含まれてきたりする。不思議なことにそれらの一部はまた、「よむ」の方にもひっかか…

『質的心理学辞典』項目 4点

*1 *2質的心理学辞典 (新曜社)作者:能智 正博 (編集),香川 秀太 (編集),川島 大輔 (編集),サトウ タツヤ (編集),柴山 真琴 (編集),鈴木 聡志 (編集),藤江 康彦 (編集)新曜社Amazon写実的物語 ヴァン=マーネンがTales of the Field(1988)で分類、提示した、エ…

「柳田國男」から、ふたたび

柳田國男、という名前も、そろそろ忘れられかけているのかも知れません。 何より、彼の名前をちゃんと記憶しておくべき前提、何と呼べば最もしっくりくるのかよくわかりませんが、たとえばそう、「思想史」とか「精神史」といった物言いで少し前まで仰角の視…

書評・川北稔『イギリス近代史概説』

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)作者:川北稔講談社Amazon 日本は最近、新衰退国 (new declining country) などと呼ばれているが、イギリスは半世紀近く前から「衰退国」といわれてきた先輩だ。衰退とはどういうものかを学ぶには、本書はいい教材だろう…

「保守」の再生って?

● 「保守」の再生が、改めて叫ばれています。 言うまでもない、わずか半年足らずでどうやら予想を超えてどうしようもないところにまで墜ちてしまった、昨年総選挙以降の今のこの「日本」の状況、「民主党ファシズム」とまで言挙げする向きまであるのも洒落に…

元気な共産党 ♬

共産党がこのところ、ミョーに元気のようで。また、それなりに理由もあるようで。 まず、『蟹工船』がにわかに売れ出しているらしいこと。言わずと知れた「プロレタリア文学」の古典。教科書その他で、ああ、名前くらいは、という方も多いかと。その古色蒼然…

大正初期浪曲雑誌の一動向――『正義之友』から『駄々子』を素材に

*1 *2 *3 ――この間初めて一席ぶっ通して聞いたがね、妙なもんですな、浪曲って奴は。なんとなく憎めない駄々っ子といった感じですな。古い浪曲の範疇に属する語り手なんだろうが文句なんか相当デタラメが多い。それでも糞ッと思えない所がなんとも妙だ。 *4 …

競馬場の「常民」、のこと

日本の「地方」に骨がらみになった「他力本願」のすさまじさを、あたしは地方の競馬場をのぞき窓にして見てきました。 それは日本の庶民、「戦後」という時代の中で醸成されてきた日本という国の国民たちのある最大公約数が、どのような気分、どのような意識…

「女帝」問題の陥穽

皇室の「女帝」問題について、ひとこと述べておく。 ご懐妊と期を一にしながらにわかに議論のテーマになってきた問題だが、なにせ「国民の象徴」として「戦後」を生きてきた皇室のこと、国民感情からすれば「オンナの天皇だって、もう別にいいよね。だって、…

「リベラル」考

● リベラル、というもの言いは、未だによく使われる。 進歩派とか良識派、というのはさすがにもう古色蒼然、まして自由と民主主義を正面から唱えてみせるには、昨今その対極にあったはずの社会主義や共産主義の類があまりにグズグズになり過ぎてしまった。思…

文科系の終焉について

学問は、すぐ世の中に役にたつものではないということをよく哲学者は口にするのであるが、しかしながらいくつかの需要が個々にあれば、少なくもいちばん目前のもっとも痛切な要求に答えうることを、まずもって学びとらなければならない。 ――柳田国男 ● いま…