民俗学

文科系の終焉について

学問は、すぐ世の中に役にたつものではないということをよく哲学者は口にするのであるが、しかしながらいくつかの需要が個々にあれば、少なくもいちばん目前のもっとも痛切な要求に答えうることを、まずもって学びとらなければならない。 ――柳田国男 ● いま…

宮本常一、ふたたび、の文脈

宮本常一が、また静かに注目されている、そうである。 民俗学者の宮本常一、である。〈あるく・みる・きく〉の実践者である。近年改めて注目されるきっかけになった佐野眞一の評伝のタイトルにならえば、『歩く巨人』。文字通りに足で「歩く」ことでしか地方…

靖国、というアポリア

戦後六十年、である。それは人間ならば還暦、亡くなった人をしのぶことのできる人すらこの世からほぼいなくなってしまうくらいの時間なわけで、その程度に「戦後」もまた歴史に繰り込まれてゆく。 民俗学の教えるところによれば、人は死んだ後、一定の時間が…

三角は飛ぶ、金属ならなおさら…

三角は飛ぶ。戦時中の疎開学童に向けて柳田国男が書いた文章のタイトルにそうある。震災後の東京から、急角度な茅葺(かやぶ)き系の三角屋根がなくなってゆくことを嘆いたものだった。そう、三角は飛ぶ。実によく飛ぶ。金属ならばなおのこと、なにせ全国数…

あたしの「網野史学」

*1 ● 電話の向こうで、いつも会う時よりも少しだけ低い、でもやはり心地よい太さのあの声が響いていた。 「オーツキ君、悪いけどそれはダメだ。できませんよ」 20分くらい、いや、もしかしたら30分以上、受話器を握っていたかも知れない。この世代の年長…

ゐなか、の、じけん――佐世保の「NEVADA」

● 事件現場となった佐世保市立大久保小学校のすぐ脇のバス道にある「大久保小学校上」の停留所。校庭の右手からずっと昇りで続いてきたバス通りの坂道が左手に巻き込むように曲がり、さらに昇りになって登ってゆく、その途中にちいさな日除けとともにしつら…

札幌の都市伝説について

*1 ●都市伝説という現象について 「都市伝説」という概念はアメリカの民俗学で提示されてきたものですが、都市伝説自体は、工業化とそれに伴う大衆社会化の中で必然的に現われる現象で、いわゆる先進国だけじゃなく、世界中に見られるものです。 ただ、それ…

あとがき (『無法松の影』文春文庫版)

*1 まずは、八年前の自分にしみじみとエールを。 おい、おまえさん、こんなにウブでマジメだったんだなあ。なんとまあけなげに、まっすぐに、いたいけな民俗学者やろうとしてるじゃんか。 『厩舎物語』(日本エディタースクール出版部 現在、ちくま文庫)に…

バスガイドという仕事

バスガイドという仕事の「語り」って、民俗学の視点から見るとどうなるんだろう。窓の外を流れる風景が、ガイドの「語り」を補助線として全く別の意味を車中の空間に立ち上がらせてゆくわけだけど、「観光」という意味の付与された空間の立ち上がる場、とい…

「現場」ということ

*1 ● 肩書きに「学者」とある。ああ、本を読むお仕事で、と言われる。 もちろんそうだ。しかしそれだけがすべてでもない。 情報化社会とひとくくりにされる錯綜した との現実の中では、文字はひとり文字だけで幸せに存在できるわけでもない。それが学聞と呼…

書評・香月洋一郎『記憶すること・記録すること』

記憶すること・記録すること―聞き書き論ノート (歴史文化ライブラリー)作者:香月 洋一郎吉川弘文館Amazon 民俗学というのは人文・社会科学系学問の最も下流に属している。上級の学問領域で流行りの課題も、濾過され劣化コピーされて民俗学のまわりにたどりつ…

熊野・再考

*1 ● 熊野ブーム、みたいなものが昨今、訪れているらしい。 らしい、というのも今さらだが、「熊野」というブランドをめぐって新たな商売が成り立ち始めている、それは確かだ。熊野古道などはそのアイテムのひとつ。そこに、熊野が「世界遺産」の暫定リスト…

このささやかな本について――『中津競馬物語』まえがき

*1中津競馬物語不知火書房Amazon この本は、大分県の中津市にあったちいさな競馬場の、厩舎で馬と共に暮らし、働き、競馬を仕事としてきた人たちの、ささやかな記録です。 競馬、と言った時に、誰もが思い浮かべるのは、華やかな中央競馬――JRA(日本中央…

ギターがくれた「自由」

● ギターが、「自由」だった。 「エレキ」と称された電気ギターではない。「フォークギター」とひとくくりにされたアコースティックの、そしておそらくはスチール弦のギター。60年代ならばPPMやジョーン・バエズ、ウディ・ガスリーやボブ・ディランの画像と共…

三人の具眼の士

*1 「さて、君もこれからどしどし論文を書かなきゃいけないんだけれども……」 廊下の端っこの小さな研究室、講義のある日は真っ昼間からさしむかいの酒盛りが、いつしかお約束になっていました。 「学者の世界というのはほんとに狭い。自分の書いたものがどこ…

書評・沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ』

「サンカ」と聞いてピンとくる人は、ある意味要注意。さらに「漂泊」「異人」「異界」「周縁」「闇」なんてもの言いにもうっかり眼輝かせちまうようならなおのこと。そういう性癖を持っている向きにいきなり冷水をぶっかけるような本、なのだ、ほんとは。 山…

百円ショップの正義

百円ショップのお世話になったことは、おありでしょうか。おありなら、どれくらいの頻度でのぞきます? それはコンビニと比べると、どちらが回数が多いです? 身近にまだなくて、という向きもあるでしょう。でも、百円ショップってよく見れば最近、結構増え…

草刈場のガクモン――菊池暁『柳田國男と民俗学の近代』

柳田国男と民俗学の近代―奥能登のアエノコトの二十世紀 作者:菊地 暁 吉川弘文館 Amazon 出世するぞ、こいつ。 いや、皮肉でも何でもなく、マジメにそう思うんだわ、ほんと。 菊地暁の『柳田国男と民俗学の近代』なんてタイトルの本が出ていたもんで、ほんと…

南方熊楠伝説

そもそも、と、たまには柄にもなく大きなことを言いますが、ガクモンガクモンと言いながら、その当のガクモンの成り立ちというやつについては、実はあまりきちんと言及されたことがない場合が多いのであります。 特に文科系のバヤイ、そもそもどういう背景、…

「なつかしさ」のプロモーション――小泉和子『昭和のくらし博物館』青木俊也『再現昭和30年代 団地2DĶの暮らし』近藤雅樹・編『大正昭和くらしの博物誌』

「なつかしさ」ってやつは商売になる――そのことに気づいている人は、商売人も含めて別にもう珍しくもない。大衆化したおたくアイテムの重要なひとつ、高度経済成長〜昭和三十年代ネタは言うに及ばず、ひと頃盛り上がってあちこちにでっちあげられてたテーマ…

民俗学入門書指南

民俗学について何か定番の本をあげて概説みたいなの、できませんかね、と言われた。当bk1ではノンフィクションの杜の担当で、このあたしの横丁も仕切ってくれている契約編集&ライター、宮島クンからだ。 そりゃまあ、いかにあたしがドキュンでも一応は民…

不良老人ノススメ

*1 完全無敵の老人学作者:和田 秀樹,大月 隆寛講談社Amazon ●隠居の終焉 人間の老い、年の取り方という観点から歴史を振り返った場合に、ひとつ注目していいと思うのは、隠居という制度です。 それは、地域によって、年代によって、農村と漁村、あるいは男女…

大塚英志という病い

● 今はもうなくなっちまったけれども、かつてそれなりにカッコいい場所とされてもいた池袋のスタジオ200で、何やら連続講座をやっていた時のやつの身振りを思い出す。 借りてきたようなスーツ着込んでさ、片手に役人みてえなブリーフケース抱えてさ、教室…

「郊外」のしあわせ

*1 「郊外」という物言いが一時期、ちみっとだけ流行ったことがありました。 あれは酒鬼薔薇の事件があった頃だったか、例によっていけすかない能書き野郎の学者や評論家たちが、「これは『郊外』型の意識がもたらした犯罪だ」とかなんとか、テレビや雑誌でご…

追悼・赤松啓介

*1 *2 赤松さんの訃報を耳にして、段ボールに入れてしまってあったまだ元気だった頃の赤松さんから送られたり手渡されたりした手紙やメモ、原稿ともノートともつかない書きつけ……などなど、いずれ手書きの宝物の数々を改めて取り出して眺めている。 『俄』拝…

「ノンフィクション」という被差別部落

えー、なぜか誰もはっきりとは言わないんですが、おなじもの書き稼業とは言いながら、ルポルタージュとかノンフィクションという分野はブンガクのそのまた下、ほとんど被差別部落みたいなものであります。で、被差別部落であるがゆえに、ブンガク幻想はその…

「戦争」と「平和」を考える

国会での憲法調査会の設置。「日の丸」「君が代」の法制化。若者たちを襲う苛酷な競争社会の到来と、世界を再び細分化するナショナリズムの隆盛。21世紀を目前にして、「平和」という言葉の権威は明らかに揺らぎ始めたように見える。民俗学者大月隆寛氏と哲学者中…

「エスノグラフィー」というもの言いについて――この本を手にとってくれた人への若干の解説

フィールドワークの物語―エスノグラフィーの文章作法作者:ジョン ヴァン=マーネン発売日: 1999/01/01メディア: 単行本*1● エスノグラフィーという言葉は、普通の日本語としてはとてもなじんだものとは言えない。その意味で、この本を読まれる方もまずこのカ…

異なる水準の言葉の連携、そして、社会・歴史像の転換

■「情報環境」という問いが今、必要な理由 くだらないこと、ささやかなこと、とるにたらないことがただそのようなものとして充満している「日常」を、構築的にではなく記述的にとらえる態度が、果たしてどのようにこの島国に棲みついた人々の意識の歴史の上…

うっかりと“うた”や“はなし”に同調してしまう身体――解説・朝倉喬司『凝視録』

● 手もとに一枚のLPレコードがある。 タイトルは『東京殴り込みライヴ/河内音頭三音会オールスターズ』。まるで屋台のエスニック料理のような河村要介の“濃い”イラストの描かれたジャケットの表に、マジックで走り書きされたサインに曰く――「ドツボ家家元…